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延命寺 インディカ舞 観音経と「アメイジング・グレイス」~その二/説教は芸能だった

 

タイトル

観音経と「アメイジング・グレイス」~その二/説教は芸能だった

 

黒人教会の牧師様、聖者は歌手です。聖者は街にやってきて、あちらこちらの教会を巡ります。歌手の巡業と同じです。歌だけでなく、オルガンやギターも弾くことがあります。
一方、聖者なのかもしれませんが、乞食なのか牧師なのか分からないようなゴスペル・シンガーもいました。教会を持たず、街で説教する牧師です。
ブラインド・ウィリー・ジョンソンは一九二〇年代末に録音を残した盲目の歌手ですが、身体が大きいので食うために盲人のプロレスに出たこともあります。とっても、いやだったそうです。プロレスといっても、今でいうと見せ物小屋の感覚です。その日の糧を得るため大雨のなか街に出て歌い、肺炎にかかり若くして亡くなりました。「アイ・キャント・キープ・フロム・クライング」という名唱で知られます。とっても太い強い声で、おそらく、目の前で誰も聞いていなくても遠くの人に聞こえるように、たんたんと何時間も声を響かせていたんだと思います。
フィーリング的にはブルース・シンガーに近いです。スライド・ギターの名手としても知られています。ゴスペルは神を讃える歌、ブルースは世俗の歌、悪魔の歌とされていますが、旋律に共通性があるばかりか、その題材についても、聖書の物語とか、奴隷制時代の逸話を歌っているなど全く別のものではありません。
ストリート・シンガーは日本でいうと、亡くなられた津軽三味線の高橋竹山みたいなものです。ボサマと呼ばれる盲目の旅芸人で、若いときには門付けをして歩きました。お坊様ではないけれど、琵琶法師や山伏の祭文語りのような宗教性を感じていたのでしょう。江戸時代に歌祭文の変形としてチョンガレ、チョボクレ、ウカレ節が出てきて、やがてそれが浪花節になったといわれてます。
また、宗教者が遊行して布教する、それがある種の興業になっているというのは、一遍上人の頃からあったのかもしれませんが、説教所を回る節談説教がそうです。
古くから『枕草子』に説教師は顔の美しいのがよいと歌われるように、説教師はスターでした。節談説教も安居院(あぐい)流と呼ばれる天台宗の澄憲(一一二六~一二〇三)に始まるお説教の系譜に連なりますが、浄土門で盛んとなり、江戸時代になると浄土真宗のお寺や説教所で盛んに行われました。
前座(まえざ)と呼ばれる弟子を引き連れて、中啓、扇子を手に高座で説教します。落語の世界みたいですね。前座は厳しい師匠の指導を受け、何年も修行して一人前になります。節談説教には、小沢昭一の言葉を借りると「うたうが如くはなすが如く、ハナシがフシになりフシがいつのまにかハナシに戻るという妙味」があります。
キリスト教のお説教もまた、聖書の英語というのがよく練れているため、読み上げていていつの間にか歌になってしまうようなところがあります。聖書の背景には歌があり、パワーが秘められていていつの間にか身体が動くといいます。
聖典の言葉、お説教はそのまま歌や芸能に変わっていきます。
真宗の説教所は寄席に近い存在でした。説教所では寺院と異なって、葬儀や正式な大法会は出来なかったのですが、明治・大正期に続々と作られました。名古屋の遊郭の梅本廊が経営した梅本説教所は年中無休で大繁盛しました。そのせいで近くの文長座という寄席の客が激減するほどだったといいます。
アメリカのリヴァイヴァル運動で、サーカス・テントに一万八千人集めてお説教をしたという逸話を思い出させます。
その後、ご存じの通り節談説教は滅びかけています。それどころか浪曲も若手が極端に少ないです。太平洋戦争の頃には三門博の明朗な浪曲に人気があって、「唄入り観音経」は一世風靡しました。蓄音機が一体、日本に何百万台あったのだろうかという時代に、二百万枚ものヒットを飛ばしました。
渋いノドの広沢虎造も戦後に「清水次郎長伝」で人気が出ましたが、今や、講談、落語なども元気がなく、寄席はどんどん減るばかりです。
ゴスペルは日本でもちょっとしたブームとなり、黒人教会の聖歌隊からは今日も多くの歌手を輩出しています。この違いはどこから来ているのでしょうか、一体、我々は何をしたらよいのでしょうか。



 

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