|
37 淫乱な?社会 「一方結婚した場合の東南アジアの夫婦の貞節と献身もヨーロッパ人を驚かせたようで」あり、例えばバンジャルマシンの女たちは「結婚すれば節操堅いが独身だときわめてふしだら」と書かれている。 他方日本「貞淑型社会」についても、たくさんの小説や本が書かれてきたけれども、その中で例えば1978年に書かれた駒尺喜美の『魔女の論理』が、今も古くは感じられないのは、彼女が文学評論を通して明らかにする結婚の構造が、これまで「ヨーロッパ貞淑型社会」について見てきたように、むしろ「近代」の基盤を成しているからといえるだろう。 「すべての妻は同様のものであった。家庭といふ巣を背負ふように受け持ち、それに気を配って男をその中で飼ひ子を育ててゐる女たちに共通の意識であつた。女たちは金銭と性の充足を得るために男を一人づつ奴隷としてそこに縛りつけて飼ひならしてゐた。しかもその奴隷に裏切られ、逃亡されることを予感し、怖れて、ちょっとでもその気配があると、ヒステリックに騒ぎ立てるのであつた。彼女等は、自分が要求する権利のない不当なまでの飽食と充足を男たちに期待してをり、その期待が大きすぎることを知つてゐるが故に、絶えず猜疑心に悩まされてゐるかのようだつた。」 ここには「お互いが加害者であり、被害者たる存在である」夫婦というものが描かれている。主人公圭三には玄人の女性がいたのだが、そのことがばれて、妻の芳子の神経はこわれてしまった。「夫の浮気によってノイローゼになるといふのは、夫を完全に縛りつける不動の権利があるといふ先入観があってのこと」である。 川野美砂子 ‖精霊と女性の国
北タイ 目次‖前号‖ 次号‖ |HOME |活動中心|声明見聞録|寺報を出そう|写仏のご案内| Copyright (c) 2006 延命寺 All Rights Reserved.
|