本太風土記
Vol.6

修法の秘密

image天台・真言の僧侶は密教の行をします。天台宗では前行も合わせて、六十日間、比叡山に籠もります。高野山はもっと長いです。鎌倉時代は、この四度加行(しどけぎょう)という行を、二年近くかけてやったようです。二ヶ月では、山から降りるとすぐに忘れてしまいます。こんなことではいけませんね。
とばかり、最近は復習をしています。もう、二十年以上前に習ったことなのでブラッシュアップしないと。
密教も密教学になると、いろいろと難しいことをいいますが、私がここでいう「密教」は、もう少し広い意味です。それは秘密といえば秘密ですが、顕れていても普通の人には分からないから秘密なんです。
密教の行の基本としては、十八道という供養法を学びます。供養というのは、仏様を尊崇するということです。事物を捧げることも意味します。梵語でプージャーです。
これは、十八の真言と印で供養する次第です。ある意味では、実際にお祭りでやるようなことを観念化して、一人で出来るように凝縮したマニュアルです。密教では尊崇した本尊と自身とが一体となって(入我我入)、お迎えした仏様を、また、もとの世界にお返しするというのが基本的な組み立てです。
日本では「十八道私記」と題して出版されていますが、私記というように、もともと、このマニュアルはプライベートなアンチョコ、メモ書きです。師匠のを写して代々伝えてきました。インドやチベットのお坊さんはこういうのを見ないですね。もともと、ヴェーダ聖典も口伝で、書き留めてはならないものでした。
バリ島のお坊さんも、プダンダと呼ばれるバラモンの高僧は密教の修法をします。
日本の密教より後に発達したスタイルを継承しています。印をまるで舞踊のように次から次へと綺麗に結んでいって、長い真言を沢山唱えてますが、アンチョコなんか見ないです。
imageこうした修法もマニュアルさえあれば誰でも出来るように思えますよね。でも、インド的伝統として、本来、口伝で阿闍梨さん、師匠からマントラとムドラーを授かってできるものなのです。ですから、弟子は必死です。ちらっと印を見せてもらう、もぞもぞっと真言を唱えるのを必死で盗まないといけないので、忘れるわけがないですよね。
バリ島のガムラン音楽も、同じ曲でも少しずつ手が違う、それを村ごとに工夫しています。他の村の人には絶対教えないので、皆、何とかしてそれを盗み出して改良するという競争を繰りひろげています。
さてそれで、ここにマニュアルがあるとします。それに基づいて修法すれば法力があるのでしょうか。これは、料理に置き換えると少し分かりやすくなります。よく、テレビで芸能人が「レシピちょうだい」といってますが、レシピで料理が作れますか?

レシピで料理が作れるか?

イメージがないとおいしい料理は作れないのです。昔、インド留学前に練習で?インド式のカレーを作ってみたことがありましたが、まずかったです。でも、帰国してから同じレシピで作ると、ましな味になっていました。
インド料理をほとんど食べたことのない人にレシピを渡しても作れません。でも、プロの料理人ですと、さまざまな経験を蓄積して、イメージが豊かなので、食べたことのない料理でも、それなりに食べられる味に作ります。
以前、カレーの講座を頼まれて、試しに有名な洋食のチェーン店のシェフにレシピを渡してインド料理を作ってもらいました。それなりにおいしくできました。でも、野菜カレーが何となく、カレー・サラダ風になってしまいます。洋食っぽく仕上がってしまうのが面白いところです。
imageそもそも、レシピがなきゃ作れないけれど、レシピ通りに素人が作ったって、決して、お店の味、プロの味にはなりません。逆にいうと、一流のプロならレシピなしに作ってもいいところまで迫るでしょうね。
二、三年前に、カルカッタからプロの料理人をお招きして、家でもカレーを作ってもらったことがあります。単純な野菜カレーでした。使うのはターメリック、クミン、コリアンダー、つまり、私のいうところのカレーの三原色。それに唐辛子と塩、油。それだけ、たったそれだけです。それで出来た料理は極上です。手順も見ていたので、後で真似して作ってみましたが、似て非なるものでした。
料理人も、もちろん初めは教えてもらって作りますが、それでは師匠を乗り越えられない。結局は、人真似ではなくて自分で創意工夫したもので勝負するようになるのではないでしょうか。また、修業時代は先輩が教えてくれないものを横から見て盗む。そうやって身に付けていくものですね。恵まれすぎているとそこから発展しません。
野菜カレーって秘密でもなんでもないけれど、極意を盗むのは難しい。ちょっとした匙加減、火加減、手癖、手順が真似できない。

芸能の力

雨乞いですから密教の修法も、我々は、様々な逸話を残す元三大師や弘法大師のように威力を発揮することは出来ないけれど、家庭的な味?くらいは出せるのではないでしょうか。
密教でなくても、例えば声明についても、昔の評伝は音をはずしたとか四分の一音まで正確だとか、そんなことを問題にしたりはしません。雨を降らせたとかその神通力を讃えます。
インド音楽の聖人たちの逸話も同じで、ラーガ・ディーパク、炎の旋律を唱えたら宮殿が燃えだしたので、今度はラーガ・メーガ、雲のメロディーを歌って雨を降らせたとか、そういう話が多いですね。雨乞いの歌や踊りは多いですよね。密教でも請雨法は盛んに修法されました。
紀貫之古今和歌集の序に、紀貫之が和歌は「あめつちを動かし、目に見えぬ鬼神をもあわれと思わせ云々」と書いてますが、芸能にはそんな力が備わっているのです。和歌、文学も芸能ですよ。昔は目で読むのではなくて、声を出して唱えてましたから。
芸能って、密教と同じです。和歌は真言陀羅尼であるとも考えられ、また、古今伝授といって、密教の潅頂の儀式を模倣したりしていましたからね。
茶道のお点前も、名人がやるとその作法にしたがって、一定のパターンで呼吸や脈拍が変わります。ヨーガのポーズもそうです。当然、気功や太極拳、舞踊も同じで、心と体の動きを呼吸によってコントロールして、自然界と調和させます。自分の中に、ありありと具体的なイメージを作り上げて、それとおなじものを大きな世界のゆらぎの中から拾い出して合致させると自然が動くのです。

 

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掲載日 : 2000.03.15
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