精霊と女性の国 北タイ

3 家の主人はだれ?
 マイクロバスの運転手が村々のクイティオ(タイ風ラーメン)屋の前に車を停めては、空き家を貸してくれる所はないかと尋ねて、ついに人々の案内する高床式住居に上がって行ったとき、居間の中央には若い男性があぐらをかいて座っていた。小さな目と大きな口が特徴的な20代後半から30ほどに見える男性である。敷地内の家を貸してもらえないかと尋ねる私たちに、一緒にいた色白で涼やかな瞳をした女性が冷たい水を出し、しばらくすると庭のマンゴーをむいて出してくれた。それからちょうど赤飯の小豆のないようなご飯を出してすすめた。
 北タイの主食は日本で知られている細長いタイ米ではなくて、もち米である。これを朝、蒸し釜で蒸したものを竹製の飯びつに入れて、朝、昼、晩の3食、皆で食べる。ここに住む気持ちが容易に決まった理由は、家を探し疲れていたこともさることながら、このとき出された「赤飯」と、聡明そうで甲斐甲斐しい感じの若い「奥さん」だった。毎日この「赤飯」が食べられるなら正月気分で幸せだろうと思ったのだが、赤いご飯を目にしたのは1年1ヶ月のタイ生活の中でも後にも先にもこのときだけだった。私たちは赤いおこわをつまみながら、ボーッとした感じでボソッと答える若い「主人」と家を借りる交渉をし、家賃を決めた。
 2週間後、寝具や生活用具を買い揃えてマイクロバスに積み込み、再び村にやって来たとき、この家にいたのは私が期待していたあの感じのいい「若夫婦」ではなくて、丸顔のお婆さんと、この間の男性と同じくらいの年齢の、けれど大きな黒目がちの目をした別の男性だった。
 男性は私たちにテキパキと答え、敷地内の小さな家に案内した。土間に水を流して掃除を始めた男性を見ながら、私はこの男性とお婆さんとこの間の「夫婦」の関係について推測した。
 夫婦とその母とそれから弟だろうか? ところが敷地内の家を借りて住み始め、毎朝炊きたてのご飯をもらいに行って、暑い日中を母屋の居間で過ごすようになっても(何せ私たちの「住み家」は小さくて暑かったから)、若い「主人」の姿を見かけることはなかった。
 私たちの大家、つまりこの家の主人は60歳のメー・カイだった(「メー」は「母」という意味で、母親の世代の女性は皆「メー」をつけて呼ばれる。「カイ」は「鶏」という意味)。掃除をしてくれたのは彼女の9人の子どもたちの末っ子のプラヤット(これは辞書で調べてみると「倹約」という意味だった)。聡明で気が利く女性はサーンワーン。この家の奥さんではなくてメー・カイの長女の次女、つまり孫だった。母屋に住む家族はそれにもう一人、プラヤットのすぐ上の兄のプルアンを合わせて4人だった(この5番目の息子の名まえはなんと「浪費」という意味だった)。
 家賃の取り決めをした男性はいったい誰だったのか、それがわかったのはそれから1月半たった6月20日、祖先の精霊の祭りの日だった。隣のメー・ロム「風」の家を訪ねると、家に集まった5人の息子たちの中に彼はいた。

川野美砂子

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