精霊と女性の国 北タイ

28 世紀転換期アメリカ人宣教師の見た北タイ
 女性の生計の質や親族との関係が、離婚によっても大きく損なわれることがない。リードが16・7世紀の東南アジアについて指摘する女性の自立性は、経済的領域だけでなく(27参照)、それと密接な関係にある社会的領域において、リードの言葉を借りればまさに「文化の型」として実現されているといえる。
 妻方居住の結婚形態をとる文化では、女性たちは結婚後も、自分がその中で成長し、また自らも築いてきた社会関係を保ち続けるからである(6参照)。このような妻方居住の慣習が、離婚を余儀なくされる危機的状況に置かれた女性たちに有利な条件を提供していることは、19世紀から20世紀にかけての北タイについても報告されている。
 北タイに住んだ最初の外国人であったアメリカのプロテスタント宣教師たちの一人は、『東洋の自由な国』という魅力的なタイトルの本の中で、飢饉のような状況について次のような具体的な記述を行っている。

「(飢饉のとき夫は)妻の許可を得て山を越え、仕事と食料を探しに行く。彼はそこで仕事も食料も得て、雇い主の娘と結婚する場合がある。あるいは何かの理由でそこで結婚して戻ってこない場合がある。このようなとき後に残された妻と子どもは困難に陥らないだろうか? 必ずしもそうではない。家も農地も牛も鶏もすべて妻のもとに残されているのだから。」

 北タイのアメリカ人宣教師たちはまた、子どもたちが大人の犠牲にならず、また負担とも考えられていない様子を記述し、子どもを障害としない再婚に注目している。

 「子どもは母親にとって負担ではない。・・・子どもが楽しく遊ぶ時間もなくいつも仕事をさせられ、あるいは能力を超えた仕事をさせられたりしているというようなことはここではない。若い女性が幼い子どもたちを抱えて未亡人になっても、子どもたちは再婚の障害にはならない。ラーオ(北タイ)の土地では子どもたちは負担とは考えられず、財産と考えられているのである。」

 女性たちは自分の母親や姉妹たちの近くで妊娠、出産し、子どもを育てていく。私が住んだ村でよく見かけた光景は、農作業など現役の活動を引退した老齢の女性や妊娠中の女性が、親族の乳幼児を複数まとめて面倒を見ているところであった。子どもたちは特定の祖母や叔母や母親だけではなく、臨機応変に手のあいた女性たちの間で過ごし、いわば結婚によって切断されることなく紡がれてきた女性たちのネットワークの中で育っていくのである。
 北タイの女性たちの離婚と再婚、そしてそのような状況における妻方居住の利点について、世紀転換期の北タイに住んだアメリカ人宣教師たちもまた、人々の生活に即して理解していた。

川野美砂子

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