精霊と女性の国 北タイ

7 家の精霊
 なぜ結婚後妻の家に住むのかということについて、北タイでは出産や育児というような現実的な理由と同時に、象徴的な説明がされる。それは妻が夫の家に住むと、夫の(母の)「家の精霊」と妻の(身体と共に移ってきた)「家の精霊」が衝突するからよくないのだという説明である。
 ここで「精霊」と翻訳しているものはタイ語でピーと呼ばれるものである。タイの宗教では仏教とともに精霊信仰が重要な位置を占め、仏教と精霊信仰はかなりの部分分かちがたく重なり合っている。
 精霊信仰のコスモロジーでは、世界は人間の領域と精霊の領域から構成されている。そこでは精霊は人間の上位にあって、人間を幸福にする力も不幸にする力ももつと考えられているので、人間は精霊に供物を供えて不幸を除き、幸福を得ようとする。精霊には「村の精霊」「灌漑堰の精霊」「寺の精霊」「川の精霊」「森の精霊」「死者の精霊」などたくさんの種類があるが、その中に「家の精霊」と「祖先の精霊」も含まれている。
 「家の精霊」は家々に棲んでいると考えられている精霊で、例えば結婚してこれから妻の家で生活を始める夫婦は、妻の「家の精霊」の許可を請う。花嫁の家で行われる結婚式の最後に、二人は、花嫁の友人たちが新しい寝具を敷きつめ、新しい蚊帳を吊って用意した「小さい寝室」に入って北に向かい、「家の精霊」の前に額づくのである。
 北タイの村ではふつう家の「大きい寝室」の北側の壁の上方に、この「家の精霊」のための棚がある(2を参照のこと)。といってもこの棚には祖先の精霊の祭りの日に花や線香などの供え物が供えられるだけで、ふだんは何もない。
 この「家の精霊」は「祖先の精霊」と同じものであると言われたり、あるいは同じものだけれど「祖先の精霊」の方が歳をとっていると説明する人もいたりする。北タイには母を通じてつながりをもつ母系的な親族集団があって、同じ「祖先の精霊」を祭っている。一つの母系親族集団の人々はピー・ディオ・カン「精霊を同じくする人々」と呼ばれるのである。
 「祖先の精霊」は母系出自集団の女性たちの身体と強い結びつきをもち、集団の女性を通じて子孫に継承されていく。それは特に集団の女性たちの性関係を監視していると考えられているので、結婚に際しては「祖先の精霊」に対して報告を行わなければならない。娘は母と精霊が同じ(ピー・ディオ・カン)だけれど、夫の母とは精霊が異なる(コン・ラ・ピー)ので、精霊同士がけんかをしてしまうというのである。
 このように北タイの妻方居住の慣習は母系出自の原理と密接な関係をもっている。「家の精霊」は同時に「祖先の精霊」であり、親の老後を看た末娘に、家と敷地と共に、その身体を通して継承されるのである。女性のこうした有利な立場について、1960年代に北タイでフィールドワークを行ったアメリカの人類学者リチャード・デイヴィスは、「女性の構造的優位」と呼んだ。

川野美砂子

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