精霊と女性の国 北タイ

9 北タイの村の男たちは洗濯好き
 ランパーンの街中のアパートから村の小さな家に移ったのは5月初旬のことだった。タイは乾季のただ中にあって、村は白く乾いていた。山間盆地に広がる水田は干上がり、深くひび割れた地面はまるでこねあげてそのまま固まってしまったコンクリートのようだ。
 長年空き家だった家の床を拭き清めると、さっそく私はホテルやアパートの生活で不自由していた洗濯を始めた。この辺りでは水は、飲み水も煮炊きのための水も、洗濯や沐浴に使う水も井戸からバケツで汲み上げていた。
 大家のメー・カイの敷地内には井戸があって、それは村の中にいくつかある大きい部類の井戸だった。メー・カイの家の井戸は、乾季も後半に入って周囲の井戸が次々にその底を見せるようになっても、最後まで水を湛えている井戸だった。偶然この家族にやっかいになることになって本当に幸運だったと、後になって幾度思ったかしれない。それは水の便宜についてだけではなかった。
 村での1年間の間、毎日毎日何度井戸の水を汲んだことだろう。ランパーンの村での生活を今になって思い返すと、水を汲み上げては洗濯し、沐浴していた日々のようにも思われるほどだ。私だけでなく北タイの村の人たちはよく洗濯していた。それも女たちだけでなく男たちも、小学生の男の子も。
 男たちは外から帰ると台所と同じコーナーにある洗い場に行き、大きな素焼きの壷から汲みおきの水を汲み出して沐浴する。腰に一枚チェックの綿布を巻きつけた伝統的な姿になると、ああさっぱりしたと見るからにくつろいだ様子で、着ていた衣服を洗ったりしている。ポケットが乾くように裏返して、オープン・スペースの腰壁にきれいに掛けて干してあるGパンやズボンを、いつも私は感嘆の念をもって見上げたものだ。川では小学校から帰った男の子たちが数人、一緒になって楽しそうに水浴びしたり洗濯したりしている姿を見かけた。
 北タイの村には「洗濯は女の仕事、男のすることじゃない」という考え方はないようだった。もっとも女たちが家族の衣類の洗濯をするのに対して、男たちは自分の着た物しか洗わないから、男たちのする洗濯は私たちの言葉を使えば「家事」ではなくて、「男の身だしなみ」と言った方がいいのかもしれない。
 「男の身だしなみ」と言えば思い出されるのは、南インドの男性たちのアイロンがけだ。南インドのケーララでは、弁護士の男性たちが毎朝出勤前に自分のワイシャツにアイロンをかけて、ピシッと折り目をつけていた。それは見事な仕上がりで、ついでに奥さんがサリーの下に着るピッタリしたブラウスにまでアイロンをかけているのを見たときには、日本人の私はあっけにとられ、飽かず眺めていたものだ。もっとも自分の感覚が「日本人の感覚」だという自信はないので、こんなことを言うと「僕はいつも自分のワイシャツにアイロンをかけてるよ」とか「あら、うちのダンナはいつでも自分でアイロンかけてるわ」と言う声が聞こえてきそうな気がする(聞こえてくるといいなあ)。

川野美砂子

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