本太風土記
Vol.3

二、三お問い合わせがありましたが、延命寺のあるこの地区は本太といいます。何故か、ホンダと読む人が多いのですが、これで、モトブトと呼びます。さて、本太風土記も三回目になりました。とりとめもなく綴らせていただきます。

十年経ちました

平成2年1月30日早いもので、この一月三十日で十年経ちました。十年一昔といいますね。延命寺は平成二年の一月三十日に炎上しました。激動の昭和といいますが、ワタシ的には激動の平成でした。
実をいうと、私はその日、インドの首都、デリーの友人宅にいました。NHKのお昼のニュースで、ヘリコプターから中継で延命寺が燃えてるぞと放送したそうですが、私は勿論のこと、家の者は誰も見ておりません。日本から電話が掛かってきて、全焼したと伝言を聞きましたが、信じられませんでした。つまり、本堂が焼けても、少し離れて渡り廊下で繋がった庫裏は残るものと思っていたからです。
実際、居間は水を被って煙で燻され、衣や書類など少々残りました。しかし、屋根が焼ければ全焼というのだそうです。失ったものは大きいですが、類焼や人的被害がなくて何よりでした。
これから平成七年までが延命寺の建築物語です。一冊の本になるくらい波瀾万丈でした。私も、気の休まる間がありませんでした。
おちおち何もできなかったのには、もう一つ理由があります。こちらはよい方ですが、同じ年の秋に結婚しました。延命寺にないものはお嫁さんだけといわれ続けた河野サンがやっと結婚しました。
翌、平成三年に長女、四年に長男、八年に次女が生まれました。本当に、子育ては大変ですね。気軽に外国には出られなくなりました。
良いことばかりは続きません。平成十年の五月に、元気だった父が、八十歳の誕生日を迎えたすぐ後に、急逝しました。本当はもうちょっと甘えたかったのですが。もう、本当に遊んでられなくなってしまいました。五、六年、第二の故郷インドに帰ってません。
平成七年の四月に、生まれ育った東泉寺から延命寺に引っ越しました。まだ、建設作業は終わってませんでしたが、斎場はオープンしました。十一月、住職に就任しました。名誉住職となった父は、摂政関白大蔵大臣ですね。
よく「お経おがめばいいんでしょ、て訳じゃないんだぞ」と怒られましたが、最近、この言葉を噛みしめています。訃報を聞いてご遺族と打ち合わせて葬儀を執り行います。そして、その家が分かって四十九日、一周忌、三回忌とやっていきます。その積み重ねが大切なんですね。それが分からないまま、お経に行くというのは、結構、恐いことだと思います。住職になって初めて分かる真実です!
私と面識のある方はご存じでしょうが、子供の頃から無口でした。ようやく人に言葉をかけられるようになりました。え、まだまだですか?
ある人に、言葉に言霊を乗せなさいと教えられました。なるほどなと思いました。おはようございますというのでも、機械的な反射でいうのではなくて、気持ちを乗せる、魂を込めていうのです。これを心がけるようにしてます。皆さんもやりましょう。誰にでもできます。むしろ、幼児の言葉というのは全身全霊で発していますよね。「おしっこー」とか。大人になると忘れてしまいます。 

昔の世話人が亡くなりました

この三年位の間に、住職と同世代の世話人さんたちが、七、八名、次から次へと亡くなられてしまいました。平均寿命が八十歳ほどですから、客観的データとしては驚くことではないのですが、半分、世話人さんが入れ替わりました。延命寺はハードもソフトも変わったということですね。
戦争を体験したこの世代の方々は、どなたも芯が強くて、たとえ癌であっても前向きにとらえて立派に往生してゆきました。感心します。誰といわず、みんなお酒が強かったですね。
また、名誉住職を亡くしてから、ご老僧方にお目に掛かると、父と全く同じ臭いを持っているのに気がつきます。これからは、本当に父代わりの師匠だと思います。厳しい時代に小僧生活を体験した僧侶の矜持というのか、今の我々ではとても真似ができないなと思います。
しかし、逆にいえばご老僧では今の時代に追いつけないところもでてきます。それは、どちらが優れているかという問題ではないので、老僧と全く同じところを目指さなくてもよいのではないかと思います。
昔の人は、包装紙とかヒモや画鋲を大事にしていました。今でも焼け残って黒ずんだ引き出しの中に、さびた三、四十年前の父の画鋲が残ってます。黄ばんだ半紙が残ってます。色あせた水引もあります。茶色くなった横浜市役所の用紙も残ってます。父は、昭和五十年頃まで北浦和から横浜へ、二時間近くかけて通勤していました。
半紙といえば、昔、まだ水洗便所が来ていなかった頃、半紙を落とし紙に使っていました。落とし紙って分かりますか?
そんなことは真似しなくていいし、真似する必要はないのですが(父は痔主でした)、私にもスーパーのビニール袋とかデパートの紙袋などため込んでしまう癖があるので、もうじき子供に笑われるでしょう。でも、これからだんだんモノのない時代に戻っていくはずですから、リサイクルは大事な心がけですよ。老僧心ながら。

幸せって何だろ?

さて、前振りが長すぎましたが、今回書こうと思ったのは家族のことです。今、長男が腎炎で入院中です。女が三人もいれば、それで十分かしましいはずですが、団子三兄弟の真ん中の団子が抜けただけで、家の中は火の消えたように静かになってしまいました。
下の子は余計に甘えようとします。三歳の子に病気の知識はありませんが、感情的には十二分に理解しています。健康なはずの上の子まで、しゅんとしちゃって食欲がなく、一人で学校へ向かう姿が寂しそうに見えます。一年前まで一人で通っていたのに。家族っていうのは一心同体なんだ、同じ魂を持っているんだと思いました。一人足りなくなると欠損感を感じます。
考えてみれば、子供がいないから不幸せというわけではありません。新婚夫婦に子供はいません。たとえ、子供が生まれなくてもそれで十分完結していて幸せな夫婦も多いです。独り者にはまた、独り身の幸せがあります。私はその長い独身貴族時代に浸りきってましたから。一人旅っていいですよ。人生一人旅、ですか?
また、一人いなくなっても欠損感が生じますが、不思議なことに一人増えても欠損感はできるのです。夫婦の蜜月に子供ができるとなんか変だな、あるいは二人目の子供ができると上の子に欠損感が生じます。喧嘩相手がいなくなっても欠損感です。
今まで一緒にいた、あるいはいつでも会えた父や母に会えないという欠如感が不幸せなんですね。幸せとは失って、初めて気がつくもの、平々凡々な家族団欒がそのままで幸せなんです。
しかし、決してそれは永続しません。子供はやがて独立して、家から離れます。それはそれで嬉しい門出なんでしょうが。かと思うと嫁がやってきて子供を産みます。家族の中にはいつも出入りがありますが、家族というのが一つの魂を持つ全体なんですね。今、魂が傷ついてます。
それが悲しみです。小さな悲しみもあれば大きな悲しみもあります。昨今、流行っているヒーリング、癒しという言葉がありますね。ヒール、癒すという言葉はホール、全体という言葉に通じます。
つまり、父がいなくなったという欠損感もやがて、全体性を回復する、現況で家の家族はすべてなんだと慣れてくることによって癒されるわけです。時間が解決します。でも、世の中には時間によらないで解決する人もいました。それは釈尊です。

家族を捨てるって?

釈尊は出家しました。日本では新聞雑誌に「在家出家」を勧める広告もあり、ちょっと混乱していますね。
インドの出家は、家を出る、すなわち、家族も捨て、家にある財産も捨て、本人の名誉も地位もすべて捨てる訳です。我執を捨てるともっと大きな幸せの世界に入れるのです。今でも、インドでは珍しくありません。理想の生活なんです。
家族を見捨てるなんて、そんな薄情なと思うかも知れませんね。でも、決してそういう意味ではないのです。釈尊は満ち足りた王宮の生活を、約束された王の地位を、愛する妻も子も捨てました。何故でしょうか。
家庭の幸せというのは、諸行無常というように、恒常的ではありません。釈尊は生老病死の四苦を唱えましたが、生き死にのほかに、どの家でも必ず病気や事故を経験します。まして、老いない人は一人もいません。全体性というのは、家族というミクロのレベルで見ると、伸びたり縮んだり、常に欠けたりくっついたりしているわけですね。その度に喜んだり悲しんだりします。
でも、その全体性というのを一家族にとどまらず、マクロ的に人類皆兄弟にまで拡げて同じ魂を持っていると考えたらどうでしょう。地球と共に生きると考えたらどうでしょう。宇宙と一体になって全体そのものとなってしまってはいかがでしょう。小さな喜びや悲しみから解放されて至福の境地に入れるのではないでしょうか。釈尊は一家族や一王国の幸せを願ったわけではなくて、皆の幸せのために出家したのですね。
我々、僧侶は法会の表白の最後に、必ず、平等利益などと唱えます。ご祈祷していても、決して、一個人の私的な欲望を追求しているのではなくて、全体としてうまくゆくようにと祈っているのが本質ではないでしょうか。自分一人だけが幸せなら、世界が滅びてもよいということはあり得ないですね。周りが幸せな状況にいるのが自分が幸せなんです。その一体感、全体感が幸せです。
小さな全体感を捨てて、より大きな全体感、大きな幸せを目指したのが釈尊の道ではなかったでしょうか。と今回はお説教のようになってしまいましたね。

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掲載日 : 2000.02.01
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