精霊と女性の国 北タイ

11 大トカゲのスープとカエルの姿焼き
 その晩は大家のメー・カイの家に呼ばれて夕食をご馳走になった。今から思えばそれは特別のご馳走だった。スープが3種類、そのうちの一皿は魚のスープだったが、もう一皿は大トカゲのスープだった。それに虫のから煎りとカエルの姿焼き・・・
 体長80センチくらいのころころ太った大トカゲは、チェンマイの市場でもよく見かけた。荒縄で丸くとぐろを巻いたような形に縛り上げられた大トカゲが何匹も地面に転がされて、身動きもできず、目を大きく悲しげに(そう私には見えた)見開いている脇を、私は見ないようにしていつもそそくさと通り過ぎたものだ。
 その大トカゲが1匹、ランパーンから村に戻ってきたシーロー(乗り合いバス)の荷台から道端に下ろされた大量の食料や日用品の山の中にいたところを、私はその日、確かに見ていた。見かけるや否や大急ぎで忘れていたのを、メー・カイの食卓で否が応でも思い出させられることになったのである。
 鶏肉や豚肉のスープのように一口大に切ってあれば、そしてこれがあの愛くるしい大トカゲの最期の姿なのだということを知らされさえしなければ、日本でも人気のトム・ヤム・クンに似た美味なスープだったのだろう。現に夫は「うまいじゃないか」とふつうに食べていた。しかし大トカゲはそういうふうに料理するものではなく、元の姿をとどめるように大きくぶつ切りにして、頭と4本の足もそのままに豪華に(!)大皿に盛るもののようだ。考えてみれば鯛のお頭付きも同じではある。
 鯛のお頭付きに限らず1匹丸ごとの姿で出される魚は、その大きく見開いた目に見つめられているようで食べられない、と言う人は日本人にもいる。逆に私たちが魚を死んだそのままの姿で食べられるのは、魚は死んでも目を開けているからだ、あれで目を閉じていたらいかにも死んだという感じがして、とても食べられないだろうと言う人もいる。
 南インドのケーララに住むナーヤルの人々に刺身について説明すると、薄くスライスして美しく並べるのだと言っても、「魚を生で食べるなんて」と見張った目いっぱいに嫌悪の色を表している。またケーララの訪問先で昼食に魚のカレーをご馳走になったときのこと、トロトロに煮込んであった魚をきれいに食べて居候宅に戻ると、「骨を食べたんだって? 大丈夫か」と気を揉んで私の帰りを待っていた。訪問先の家の人が慌てて電話してきたので、私が戻るまでずっと心配していたのだと言う。日本では魚によっては軟らかく煮て骨まで食べるのだと説明すると、「なんと野蛮な、信じられない」と呆れ顔だった。
 私は、火で炙られて引きつった姿のまま、くしを通して出されたカエルにも途方に暮れ、かろうじて食べられる虫のから煎りをつまみ、スープをすすって、もち米ばかり食べていた。「お赤飯」につられてここに住み始めた矢先のこの「ご馳走」に、先が思いやられると暗澹とした気分に落ち込んだのだったが、幸いなことに大トカゲのスープとカエルの姿焼きはこの日だけの特別メニューだった。

川野美砂子

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