精霊と女性の国 北タイ

16 僧侶の身体と仏教的力
 人の内部に蓄積されたブンは、望ましい結果、つまり望ましい出来事や状態を生み出す。
 望ましい出来事や状態を生み出すことのできる、個人に内部化され、実体性を帯びたものは、「力」とみなすことができるだろう。ブンを蓄積した人はタイ社会において(あるいはテーラヴァーダ仏教の伝統において)、徳高い人、すなわち価値とされる性格や資質を身につけているばかりではなく、力を所有する人でもある。
 タイでは特にミブン「ブンをもつ」という言葉が、ごく少数の人々にのみ用いられてきた。このような人々は力の発揮に非常な能力を示すのだが、しかし人をミブンと定義するには力だけでは十分とは言えない。その人はまた、この力を道徳的目的のために活用しなければならないのである。
 タイにおいて歴史的にミブンと呼ばれてきたのは王であり、また特定の僧たちであった。彼らはブンの多寡による宇宙論的位階の頂点に位置し、そのために巨大な力を発揮したのである。その力は単に宗教的であるだけではなく、同時に世俗的でもある。こうした僧たちも政治-宗教的祭礼の中心になったという。
 このようにミブンと呼ばれた僧たちばかりでなく、タイの人々にとって僧はブンの源泉という意味と同時に、仏教的力の源泉という意味をもつ。そしてそれは身体的なものとして理解されているのである。
 私たちがランパーンで買ってきた新しいバイクのために行ったタン・ブンは(12に既述)、タイで日常的に行われる災厄予防のタン・ブン儀礼の一つだった。これは理論的には、私たちがブンを積むことによって望ましい結果を得る、つまりバイクに乗った私たちが事故に遭うことなく無事走り続けることになるのだが、実践的には理論とは異なって、お経とともに僧の身体から発する仏教的呪力にその効力を負っている。
 円錐形に巻いたバナナの葉に線香や花、蝋燭とともに10バーツか20バーツほどの紙幣を入れて僧侶に渡すと、僧侶は木綿をより合わせた糸をバイクのハンドルに結び付け、合掌した両手にその端を挟んでお経を上げる。するとまるで電線を伝わる電気のように、僧の身体から仏教的力が糸を伝わってバイクに注ぎ込まれるのである。僧はさらにバケツの水をかき回しながらお経を読み、仏教的力を水に伝えて聖水を作る。この聖水に棘のついた葉を浸してバイク全体に振りかけ、ハンドルから伸びた木綿糸をちぎって儀礼は完了する。バイクに充填された仏教的力と聖水は、災いを起こそうとするピー(精霊)からバイクを守ることになる。棘もまたピーが大嫌いなものである。
 タイのバイクはどれもそのハンドルにタン・ブン儀礼の白糸が結び付けられている。タン・ブン儀礼を経ていないバイクには、タイの人たちは恐ろしくてとても乗れないだろう。私たちのバイクもこの時から人々が安心して乗れるところとなり、1年の間、村中の人たちが借りてきては乗って、大活躍することになるのである。

川野美砂子

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