精霊と女性の国 北タイ

31 社会進化論的理解
 世紀転換期、北タイのアメリカ人宣教師たちは、人々の具体的な生活の中に妻方居住の利点を見出し、またその高い道徳性を評価して、それが「家の精霊」をめぐる意味の体系によって実現されていることを理解していた(28.29.30)。ここにはまさに、「そこに住む人々の視点から」(これはクリフォード・ギアツが1973年に書いた論文のタイトルであるが)の異文化理解が行われていたのであった。ところが『東洋の自由な国』の2章、「社会慣習」の章で見られた異文化理解は、3章と4章ですっかりかげをひそめてしまう。

 特に4章のテーマとなっている「悪魔崇拝と魔術」は悪名高く、タイや北タイに関する当時の書物のほとんどが、この記述に多くのページを割いている。ここでは宣教師たちの見る北タイは、「邪悪な精霊」に対する恐怖に支配された土地である。この「邪悪な精霊」は同時にデーモンやデビル「悪魔」と書かれ、北タイの人々は宣教師たちによって「悪魔崇拝者」と呼ばれるのである。

「(キリスト教に改宗した北タイの)男女が結婚式で悪魔に供物を捧げるのをやめたいと望んだが、彼らの親戚は皆まだ悪魔崇拝者であった。」

 しかしここで「結婚式で悪魔に供物を捧げる」と理解されていることは、「社会慣習」の章では「(結婚式には)双方の家の守護霊が参加する」と理解されていたことであった。つまりここで「悪魔」と理解されているのは、2章では「家の守護霊」とか「家の精霊」と理解されているものなのである(北タイの結婚式と「家の精霊」については7参照のこと)。
 「家の精霊」は「川の精霊」や「森の精霊」、「灌漑堰の精霊」や「村の精霊」などたくさんの精霊たちとともに北タイのコスモロジーを構成している(7参照)。宣教師たちはこの精霊を祀る社を取り壊すよう人々を説いて、本国に宛てた報告書に、「新たに精霊の社 が取り壊され、キリストがたたえられている家は皆、新たな征服のための拠点である」と書くのである。

 『東洋の自由の国』には最終章に教科書のように「学習のための問題」が置かれている。そこでこれまで北タイについて書かれてきたことは、社会進化論的図式にきれいに収められてしまう。

妻が夫の家に入る中国の慣習と、夫が妻の家に入るラーオ(北タイ)の慣習のどちらがよいだろうか?
前者の場合、妻にどのような影響があるだろうか?
後者の場合、夫にどのような影響があるだろうか?
これを若い人々が独立した家庭を築くキリスト教の慣習と比較しなさい。

 この誘導的な設問は、キリスト教のやり方が唯一の正解であって、その他はすべてどこかに問題があるという前提でなされていると言っていいだろう。これは西欧キリスト教社会が社会進化の最先端にあって、他の社会の進化の目標であり、理想を実現しているという社会進化論的世界認識の枠組みである。2章で人々の生活に即して評価された北タイの居住形態は、同時に最終章では社会進化論モデルに従って、ただ理想的なアメリカより遅れた慣習とみなされたのである。

川野美砂子

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