精霊と女性の国 北タイ

32 「人種特性」
 「謙虚な態度でもっとも微細な個別性に目をゆきとどかせる者のみが、普遍的なものへの道を開くことができる。」

 これはインド研究の金字塔とされる『ホモ・ヒエラルキクス』の著者、ルイ・デュモンの言葉である。彼は「西欧的な偏見から、私たちはインドのカーストをゆがめて理解していないか。それははたして「インド経済の低迷の元凶になった」「閉鎖的で<前近代的な>身分集団」なのか」という疑問から出発し、「当事者たちは、カーストをどのように理解しているのか」という問いを立てて、カースト体系の意味を問う膨大な作業を行った(デュモン『ホモ・ヒエラルキクス』)。

 社会進化論的世界観のただなかにあって、宣教師たちに異文化理解の可能性がわずかな領域にせよ開けたのは、まさにデュモンのいうように、「もっとも微細な個別性に目をゆきとどかせ」た結果だった。しかしその彼らが一般的な結論を導こうとするや、時代があらかじめ用意した結論の反証となるような、個々の人々の生の姿を考慮の外に置いてしまったことは、現代の私たちにとっても示唆的である。

 宣教師たちの北タイ理解の枠組みを見るとき、私たちにとってもう一つ示唆的なのは、彼らが「文化」という概念によってではなく、「人種」という概念によって、自分たちとは異なる人々を理解したことである。
宣教師たちは北タイの女性の地位の高さ、道徳性を評価したが(2930)、それを文化の問題としてではなく、race inheritanceとして理解した。「女性のこの特異な位置とそれに付随する高い道徳基準は、仏教や外来の影響によるものではなく、ラーオの人々のrace inheritanceの一部なのである」。

 race inheritanceという言葉は、現在の私たちにとっては翻訳が難しいけれど、19世紀から20世紀初頭にかけてのアメリカ社会での、一般的な理解の枠組みを表す重要な言葉だと考えられる。それはそれぞれの人種がその遺伝的性質として後代に伝え、継承するものという意味で用いられている。その意味で「人種の遺伝的特質」または「人種特性」と訳すことができるだろう。
 『東洋の自由の地』では「文化」という言葉は一度も使われず、現在なら「文化」という言葉が用いられるところに、「社会慣習」という言葉が用いられている。この本では結婚や家族などの「社会慣習」が、人種ごとに遺伝する「人種特性」として理解されているのである。

 プロテスタント宣教師は北タイの人々を、キリスト教世界の意味体系ではなく北タイの人々がその中で生きている意味体系を用いて理解した、その領域においては「異文化理解の可能性」と呼ぶことができるのだが、しかし宣教師たちが行ったのは、字義通りの異「文化」理解ではなかった。

川野美砂子

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