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22 「一緒に食べる関係」 次男のパン(37歳)は北の山岳地方で教師をしていたが、3週間くらいの間隔で妻子を伴い、ランパーンで買った食料をバンに積んで、母の家に来た。またランパーンで看護婦をしている次女のカイムックも、2週間に一度ぐらいの割合で来た。 このパンとカイムックが定期的に母屋の米倉(10の図参照のこと)の米をもらいにきていたことがわかったのは、私たちがここの家に住み始めてかなり経ってからのことである。近所に住む長女のチャンは、毎日炊く米を米倉に取りにきていた。 北タイの家族周期の中で、娘夫婦は親の家から次第に敷地内の離れのような家、そして別の家へと空間的に独立していくが(4参照、息子夫婦の場合もあることについては5参照のこと)、経済的な独立はこれと並行して、けれどもずれを伴いながら実現されていく。夫婦は親と同居している間はふつう親の農地で働き、同じ米倉の米を食べているが、その後米倉を別に建てることもあるし、農地を分割したり、別に手に入れた農地で耕作したりすることもある。 北タイの人々にとって、家族の意識は同一世帯を超えて「キン・ドゥアイ・カン」、「ナー・ディオ・カン」で覆われる範囲に広がっている。言い換えれば自己の拡がりの一つのレベルとしての家族‐それは災厄を共有し、ブンを共有する人々であった(21・22参照)‐は、「キン・ドゥアイ・カン」と「ナー・ディオ・カン」という言葉で表現される人間関係の緩やかな重なりからなり、「幸福と災厄の共同体」としての家族もまた、幸福や災厄の脈絡に応じてこの中で変化するのである。 川野美砂子 ‖精霊と女性の国
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